2拠点生活エッセイ第16回「送り火と奥さん」

8月16日、自宅近くの橋から五山の送り火を見るべく、夫と娘の3人で歩いていた。
同じ方に向かって歩いている人が何人もいて、橋が見えてくる前に人だかりと警備の人の姿が見えた。

京都市の「五山送り火」は、テレビでも中継している。
京都市と福知山市とを行き来する2拠点生活が始まった年には義実家の3階から眺め、去年は用事にために私と娘だけ福知山市に帰っていたので夫は職場の同僚といっしょに鴨川から見たらしい。

3人そろって、家の外までわざわざ出て見に行ったのは今年がはじめてだ。

道路には屋台が並んでいるわけでも誘導する明かりが用意されているわけでもない。

それでも、暗闇の中に赤々と現れるあの火を見ようと、より見えるところへ、ぞろぞろ人影が動く。そのぞろぞろに私たちも加わった。

歩行者天国になっている鴨川沿いの道を歩いていると、送り火に向かって手を合わせている人がいた。あ、と思った。

盛り上がって写真を撮っている人のすぐそばにも、手を合わせてしずかに目をとじて立っている人がいる。

「送り火って、送り火やもんなぁ」
「あぁ、そうやなぁ」

夫と2人でそうつぶやき、その人の横を通り過ぎてからも、手を合わせて拝む黒い横顔は、しばらく頭の中にあった。

送り火を終えた週末、福知山市雲原に帰って水車広場サロンに参加した。

雲原の地域福祉協議会が毎月開くサロンで、今月は落語会とそうめん交流会が企画されていた。

落語を楽しみ、そうめんもたっぷり食べ終わって一息ついていたら、後ろから声をかけられた。

「あの、吉田さんですか」
「はい、吉田美奈子です」
「わたしあの、Yの妻です」
「あら!」

Yさんの奥さんと会うのは初めてではなかったけど、顔を覚えるほど関わってはいなくて、名乗ってくださるまでどなたか分からなかった。

最後にお出会いしたのは、Yさんの入院する病室へお見舞いに行ったときだ。
そのときお腹にいた娘を見せて、いっしょに挨拶する。

「こんにちは〜」
「わー、お子さんもうこんなに大きいんやね」
「そうなんです〜」
「3歳くらい?」
「いえ、まだ1歳、もうすぐ2歳ですね」
「あぁ、そうなんやね」

「生前はいろいろありがとう。楽しい思い出になってると思う」
「いやそんなこちらこそ!私にとってYさんは雲原生活になくてはならない方だったので」

Yさんは、私が雲原にはじめて訪れたとき、はじめて話した雲原の人である。

話しぶりや関わり方の適当さに良い意味でびっくりして、憧れた。

Yさんが倒れたのは、私が移住してすぐのこと。
そのあと復活されるのだが、後から聞いたらもうそのとき余命いくばくもないと言われていたのだという。
復活されてからの多くの時間を、私はいっしょに過ごさせてもらった。

約2年ぶりに会うYさんの奥さんは、下がり眉毛で微笑みながら話を続ける。

「さみしいけど、がんばってくれて、たくさん話もできたし。いい顔で亡くなっとったでしょう」
「そうですね、Yさんっぽくて、そうでしたね」
「お通夜、来てくれてありがとうね。後ろで吉田さん来てくれたってきいてすぐ出たけど、もう帰られたあとやったから」
「ああそうなんです、ほんま一瞬で失礼したので」

Yさんが亡くなったのは、私が娘を産んで2週間後くらいのときだった。
私は産後の療養中で福知山市の実家にいた。
お通夜に通しで出るのは無理だなと思ったので、小さい小さい娘を抱いて、お通夜の始まる前に会場へ入らせてもらってお焼香した。

遺影の中のYさんは、治療に入る前の姿で二カッと笑っていた。
案内してくれた喪主の息子さんが「らしいでしょ」とおっしゃった。

治療を開始された頃、私は雲原で1杯100円でインスタントドリンクが飲めるカフェを開いていた。

ある日めずらしくニットの帽子をかぶって店にあらわれたYさんは、入って席について少ししてから「こんなんなったんや」と帽子をとって見せてくれた。

即座に「わあ!かっこいい!良いじゃないすか」と言うと、「ほんなことはないけど」と照れておられた。
お世辞でも慰めでもなく丸坊主もよく似合っていると思ったからそう言ったのだが、家族の前では、髪型のことをどんなふうに話されていたのだろう。

わたしの知らないYさんがいるし、わたしだから知っているYさんもいるんだろう。

たとえばカフェで、BGMに中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』を流している時「わし、これ好きなんや。ええ曲やろ」と教えてくれたこと。

そのとき「ほなYさんを送るときはこれかけましょうか!」と、まぁまた不謹慎なことを言ったら、「わやなこと(めちゃくちゃなこと)言いよる、かなんなぁ」と笑って受け入れてくれたのだった。

Yさんのその、困ったような笑い方が、とても好きだった。
すっとぼけた話も、真剣な話も、Yさんには安心してできた。

亡くなったとの一報を受けてから、通夜への道中も会場でも帰って来てからも、頭の中にはヘッドライト・テールライトが流れていた。

お通夜の日のことが、奥さんを前にして一気によみがえってきた。

話の最後に、奥さんはこうおっしゃった。

「また、いつでもおるから、近くに来られたら寄ってくださいね」
「えっいいんですか」
「もちろん!お線香あげにでも」
「ぜひ寄らせてもらいます、ありがとうございます!」

Yさんがわたしの中でどれほど大きな存在か。
夫には思い出すたびに何度も話している。けれど、夫はYさんと関わる時間がそんなになかったので、「そうやったんか」と聞いて受け止めてくれるだけである。
いや、それでも十分助かるのだけど、なにか足りないと思っていた。

奥さんからお誘いを受けて、彼と過ごし、彼を大事だと今も思っている人と話したかったということなのだと、はじめて分かった。

Yさんと暮らしていた頃の、ふだんの話を、Yさんのように明るく笑い飛ばしながら話したかったのだ。

いつでも行っていい、寄って、Yさんの話ができるなんて。嬉しい。

奥さんとの話が終わって席に戻り、娘の食べ残したそうめんをすすりながら、何かがひとつ落ち着いていく感覚を味わった。

京都市に帰ってきて、同居人のHさんに、Yさんの奥さんとの話をして、「クリスチャンってどうやって故人を偲ぶの?法事とかあるの?」と聞いたら、「召天者記念礼拝っていうのがあって〜」などと教えてくれた。

が、最後に「偲ぶっていう感覚自体がよく分からんです。祈ることはどこでもいつでもできるし」と言われて、「へー!でも確かに、そうやな」と驚きながら納得した。

死ぬことの捉え方は人それぞれ・宗教それぞれとはいえ、確かに祈ることはどこでもできる。一人でもできる。

それでも、私が奥さんに誘ってもらえて嬉しかったのは、やっぱりいっしょに、Yさんとの日々を振り返れると思ったからだ。

送り火を拝んでいた人が印象的だったのは、誰かを送っている人が自分以外にもいることが目に見えて、「あなたもですか」と共感したからかもしれない。

今度雲原に帰ったら、Yさんに会いにいこう。

「こんにちはーーー!」
「元気ですよーーー!」
「元気ですかーーー?」

って話しかけよう。

「元気なわけあるかいや」とツッコまれるかな。

それとも今度は奥さんが、困った顔で笑われるかな。

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吉田美奈子
農家民宿「雲の原っぱ社」宿主。1989年生まれ。福知山市で生まれ育つ。京都女子大学現代社会学部現代社会学科卒業後、NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝で地域教育に関わる。2012年、福知山市の雲原地区へ単身移住。2016年、結婚を機に京都市との2拠点生活スタート。同年11月、女児の母となる。クマと星野源と夫が好き。 ツイッター▷@kumonoharappa ホームページ▷雲の原っぱ社

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