Oさんからシュトレンを貰った。
Oさんは京都市の家のお隣さんで、義理の叔母にあたる方だ。
昨年我が家のトイレが詰まってあふれたときには「うちのトイレ使ってくれたらいいよ」とご自宅を昼夜解放してくださったり、出がけに出会ったら「美奈ちゃん、お菓子あげるからちょっと待って」と京都のおいしいお菓子をくださったり(こちらからは雲原の名産である雲原こんにゃくを返したり)、娘とジャンプして遊んでくださったり、近所に暮らす義父母と共にこれまた近所のごはん屋さんで夕食を食べることもよくある。
これだけでも随分お世話になっているのだが、関わりの距離感としてはあくまでもお隣さんで心安い。
毎日会える仕事仲間や友人がいない京都市での生活がそこまで心細くないのは、彼女のほどよい関わりによるところが大きい。
さて冒頭のシュトレンは、義父母の結婚記念日を祝う夕食会の帰り際にOさんから参加者全員に「これクリスマスプレゼント、どうぞ」と手渡された。
私は「わぁありがとうございます」と静かに受け取りながらも、内心はシュトレンや!大好きな!シュトレンや!!と、にわかに浮き足立っていた。大好きなのだ。
そして大好きと言いながら、今年はタイミングを失い手に入れられなかったために、思いがけず貰えたことがなおさら嬉しかったのである。
ちなみに私とシュトレンとの出会いは福知山市雲原地区に暮らし始めてすぐの頃にさかのぼる。友人が遊びに来た時のお土産に持って来てくれて、こんな食べ物が世の中にあるのか!と驚いた。
クリスマスまでに少しずつ食べ進めて味の変化を楽しむというあり方や、ゴツゴツした見た目と裏腹に中身はフルーツやナッツがたっぷり練り込まれてスパイスも効いているというポテンシャルに惚れ惚れした。
Oさんから貰ったシュトレンは、Oさんが気に入っておられるパン屋さんのシュトレンで、やっぱりとっても美味しかった。貰ったのは12月23日だったので、クリスマスが過ぎてからも少しずつ大事に食べた。
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2018年はOさんのシュトレンのように、思いがけないことがたくさん起きた。
エッセイで書いてきたことを振り返っても、例年以上の雪から始まって夏は毎週のように大雨が降ったし、2拠点それぞれの家に1人ずつ同居人が現れ、宿には初めてリピーターさんができた。
雲原で亡くなった恩人Yさんの奥さんと再会してお線香を上げに行けたり、鮮魚を買って調理するはずが調理済みの魚を買っていたり、娘がめちゃくちゃ喋り始めたり、厄介なはずの村仕事で楽しかったり、親子3人でラジオにも出してもらった。
中でも、同居人・TさんとHさんという新たな家族ができたことと、雲原のYさんにお線香をあげに行けたことは大事な起点になった。
TさんとHさんはその存在で、2拠点をより楽しく行き来させてくれる自由と、子育てにおける精神的余裕をもたらしてくれた。
亡くなったYさんの奥さんと再会しお仏壇にお線香をあげられたことで、この2年間ほど行き場を失っていた「Yさんと生きていきたかった」という思いはいったんの着地点を見つけることができた。
一方で、思いがけないことは恐ろしい顔をしてやってくることもあった。でもそれも、「恐かったんや~」と安心して話せる人が思いがけず現れたときに、ジワリジワリと傷が癒えていくような感じがあった。
思いがけない喜びは身内で分かち合えば充分だが、悲しみは抱えきれないときもある。
最愛の夫ですら元々は他人であることを考えても、自分の外との関わりがあってこそ人は生きやすくなっていくのではないか。
シュトレンをくれたOさんのような心安さで、いまよりもっと外へ出て人と関わっていけたらーーー。
夫と左手をつなぎ、私と右手をつなぐ娘と並んで歩き、冷たい空気に肩をすくめながら、そんなことを考えている年の瀬である。
内で考えたことを外に向けて書ける場所がここにあるということをありがたく思いつつ、よいお年を。
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今年も最後の最後までお付き合いいただきありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。