2拠点生活エッセイ第22回「節分を気にする」

2月といえば「節分」ですが、今年もわが家では、これといった催しをしないまま過ぎました。

節分といえばの「鬼」関連では、福知山市雲原地区の「雲原 大江山 鬼そば屋」さんへ頻繁に行った月ではありました。(鬼そば屋さんのメニューでは、とり天七姫そばが好きです)

そうそう昨年は、京都市の児童館で「鬼のお面」を作らせてもらいました。

でも、実は、そういう場面に出くわさない限り、節分だからと自発的に何かしようという気にはならない私・・。
児童館もたまたま行ったら「工作の日」だっただけで、狙って行ったのではありませんでした。

それはなぜか?

ひとつ目の理由は、保育園の頃の思い出です。
誕生会と節分の会がなぜか同時に行われる園で、泣き叫びながら逃げ隠れた記憶は四半世紀以上経った今でも鮮明です。
2月生まれの私にとっては「節分=逃げる、避けたい行事」として、心身に刷り込まれている気がします。
園の誰かが手作りの衣装で鬼に扮していたので、おそらく今見ればそんなに恐ろしく感じないと思うのですが・・。

次は、大人になってからの鬼のイメージがあります。
福知山市には大江エリアを中心に鬼伝説が多数語り継がれています。
以前、大江町の方が自分の町について紹介するときに「人より鬼の方が多いんですよ〜」とおっしゃるのを聞いたことがありますが、福知山市民の方にとっては、そばにいて当たり前のように感じている方も少なくないのではないでしょうか。

私にとっても、保育園での最初の出会いは最悪な印象でしたが、大人になってから出会う鬼は可愛げもあって(鬼伝説では気さくで優しい性格が語られているし、大江町で出会える鬼の像はどれもとても愛らしい)今では身近な存在です。

そんな相手に豆を投げつける気が起きないことが、「鬼は外〜福は内〜」という豆まきの催しにピンとこない理由のひとつです。

最後の理由は単純で、何かの準備をする前に気づけば当日を迎えていることが多いから・・。これは、他の行事ごとにも当てはまりますね。忘れているのです。

ちなみに、夫に節分のイメージを聞いてみたところ、「お面かぶった人に一応豆投げて、豆食べるイメージ。別に襲われる印象はない」とのことでした。

何かする気にならないと言ったり、日にちごと忘れてしまったりしつつも、こうして毎年なんだかんだと気にしているのは、2月生まれの福知山出身者ならではかもしれません。

2月の更新が遅くなりました。
心配して連絡をくださった方、ありがとうございました!
2月が28日で終わることをスッカリ忘れていて出遅れました。3月は31日までに更新します。

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この記事を書いた人

農家民宿「雲の原っぱ社」宿主。1989年生まれ。福知山市で生まれ育つ。京都女子大学現代社会学部現代社会学科卒業後、NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝で地域教育に関わる。2012年、福知山市の雲原地区へ単身移住。2016年、結婚を機に京都市との2拠点生活スタート。同年11月、女児の母となる。クマと星野源と夫が好き。

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