家族3人で京都市と福知山市とを行ったり来たりする2拠点生活について書き始めて5ヶ月。
気づけばどちらの地でも秋の風が吹いている。
とくに福知山市の拠点・雲原地区では、朝晩は布団をかぶらないともう肌寒いくらいだ。
田んぼの中でふと立ち止まる
そんな季節の移り変わりの中で、最近福知山市にいるときは、田んぼの中の雑草を手でひたすら抜いている。
風邪を引いて2週間以上作業できなかった間に、まるで蓮池のように生い茂ってしまったからである。
草引き自体は好きな作業なのだが、なんせ量が量なので挑む気持ちはかなり焦る。
焦るとつい勢い余って雑草に隣接する稲の株まで抜いてしまう。
稲を救おうと除草している中で、稲を除去してしまうなんてなにやってんだと、うなだれる。
まだまだ緑の水面を見渡す。はぁ〜・・・と長いため息をつく。
疲れたな。わたし、なんでここに立ってるんだっけ。
立ち止まって、少し前を振り返る。
そういえば、なんで田舎に住んでるんだっけ?
雲原に住むと決めたのは2012年のこと。
まだ夫とも出会っていない頃だ。
この地域を選んだ理由は第一回で少し書いたように雲原の山を歩くイベントで、地元の皆さんの風通しのいい人柄に感銘を受けたから。
世界中に人が住めるところがあるなかでそもそも田舎に目が向いていたのは、住む場所として山の近くがいいと決めていたからである。
決めるまでには、ふたつの出会いがあった。
高知県の山荘で「素直に選んだら?」と言われた
ひとつめは、高知県で開催された「高知にかぁらん」というイベントで標高1400メートルの山の上にある山荘しらさで出会ったオーナーの小森夫妻。
「高知にかぁらん」は高知の豊かな自然とともにユニークに生きている人のもとへ直接訪れ、働きぶりや暮らしに触れながら参加者自身が生きることや働くことについて考え話し合うイベントだった。
いくつかあるコースのひとつの案内役を友人が担っていたご縁で誘ってもらい、山荘しらさに宿泊してオーナーである小森夫妻と出会うことができた。
当時は大学卒業後に就職したまちづくりのNPO法人を辞めた直後だった。
辞めた理由は人間関係に行き詰まったからで、絵画のような自然の中に身を置いていても心はまだささくれていた。
オーナーご家族と参加者の皆さんとともに夕食を作って食べるとき、みんなとても良い顔をしていたし良い話をしていた。
その雰囲気に確かに惹かれているのに、わたしは「こうやって山にいるときはたのしいし気持ちも落ち着くけど、街に降りたら全部忘れてしまうんですよ」とやさぐれたことをつぶやいた。
すると小森夫人は「信じるのはその感覚じゃないの。素直にそっち(山)を選べばいいんじゃない?」と言葉をかけてくれた。
やさぐれたまま、ただ感覚を信じてみるという発想はなかった。
この瞬間、街から山へ生活の拠点を移すという選択肢がうまれた。
映画「おおかみこどもの雨と雪」を見た
山の方が落ち着く、山が好きだということを自覚した私は、高知から帰ったあと福知山市の山歩きイベントに2つ参加した。
そのうちの1つが先に書いた雲原地区でのものだった。
雲原に惹かれた私の背中を押したのは、当時映画館で上映されていた「おおかみこどもの雨と雪」だった。
山奥に移り住む主人公一家が単純にかわいく、のびのびできる居場所を求めて移り住むところに共感した。
ラストの「元気でしっかり生きて」というメッセージをまるごと自分へのものとして受け取った。
山の近くの暮らしを探し始めて半年が経った頃、ついに田舎での生活がはじまった。
田舎に住んで変わった「住む理由」
田舎に住むようになって飛躍的に増えたことは、食べ物を介したコミュニケーションの機会である。
右も左もわからなかった頃、とりあえず地域の中の色んな集まりに顔を出して自己紹介していた。
するとみなさん、次々と食べ物を与えてくれる。ときには食べきれないほど。
「うちでとれた野菜」「昨日つくったジャム」など、自分で育てて加工したものを当たり前に持っているのだ。
そんな皆さんへの尊敬の念が毎日募った。
私からのお返しは、好きなお菓子屋さんで買ったものなどを渡していたが、次第に自分で作ったものでやりとりしたいと思うようになった。
言葉を介したコミュニケーションに行き詰まっていたのに、ここにきて、コミュニケーションにまつわる新たな目標ができるなんて思いもしなかった。
移住から3年後、まわりの皆さんに助けられまくって米を作り始めた。
米の他にもパンを焼いてみたり料理を作ってみたりした。自分でつくって人に渡せるものが少しずつ増えてきた頃、夫と出会い2拠点生活が始まった。
2拠点生活がはじまってからの「住む理由」
2拠点生活がはじまってから、一人暮らしの頃と比べると雲原の皆さんとゆっくり関わる時間は少なくなった。
でも、関わっていた頃に教えてもらったことが、今でも私を助けてくれている。
なにより育児を優先する日々において、米作りが想像以上に支えになるのだ。
田植えも草引きも稲刈りも、動作に没頭できるため相当なリフレッシュになるからだ。
いま、雲原に住む大きな理由は「米が待っているから」である。
田舎に住んでいる理由
私が田舎に住む理由は、当初の漠然としたものから具体的な生活へと変わっていた。
山の近くにいたい。
食べ物を作って人に渡せるようになりたい。
生活にハリの出る米作りを続けたい。
だから、田舎に住んでいる。
過去から現在に意識を戻して、足元に目をやる。
しゃがんで、引っこ抜いてしまった稲株を田んぼにさして、根本に水分たっぷりのトロトロの土をかぶせる。頼りなげだが、手を離すと一応立ってくれた。
ふう、と一息つく。ジャボジャボと音を立てて水田の中を歩いて、あぜに上がる。
大きくのびをする。
よし、また明日。
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