冷蔵庫が壊れてから、もう2週間になる。
先々週、いつものように夫と娘と3人で福知山から京都へ帰ったら、家の中がどうもクサかった。
生ゴミか?洗濯物か?いやそんなニオイじゃないぞと警察犬のように鼻をフンフン動かしながら、買ってきた食材を入れようと冷蔵庫の扉を開けた。
・・・生ぬる〜い。
私「これ壊れとんちゃう?」
夫「えー? 扉が開いてただけじゃなくて?」
私「だって氷溶けとるもん。わぁ〜くさい!」
夫「ほんまや!わー、あかんな!」
冷蔵庫が壊れた現場に出くわしたのは初めてで、ヒヤッとしたというよりゲッと思った。
だが、冷蔵庫の中身をひとつひとつ出しながら「整理したかったし、ちょうどよかったかもしれんで」と微笑み合えるくらい、私たちは落ち着いていた。
それは、もうひとつ冷蔵庫を持っていたからである。
もうひとつの冷蔵庫は、夫が結婚前に一人で住んでいたとき使っていたものだ。
中古で買ったが捨てるには新しいという理由でずっと家の廊下に置いてあった。
ふつう、家の廊下に使わない冷蔵庫があったら邪魔で仕方ないだろう。
だがわが家の廊下には、そのほかにタンス4竿、食器棚、キッチン、コンロ、夫のぶら下がり健康器、電子レンジ、壁を塗ったときに使ったペンキや端材など・・たくさんのものが置いてある。
その中で冷蔵庫はどちらかといえば目立たない存在だった。
京都の家には、もともと夫の祖母が暮らしていた。祖母が介護施設に入ることをきっかけに、ちょうど京都市に住んでいた夫と私に「管理しながら住まないか」とお声がかかり住むことになったのである。
京都らしい縦に長いつくりの古い大きな家には、祖母をはじめ祖父も義母や義母の兄妹、いとこ夫妻や孫など多い時には9人が同時に住んでいたそうだ。
家の中には、かつて住んでいた人たちの家具や荷物がそのまま残されている。
今回壊れるまで使った冷蔵庫もそのうちのひとつだった。
前の住人の生活感あふれる空間にそのまま住むというのは、実は福知山市雲原の家につづいて2軒目である。
雲原の家には、もともと女性が一人で暮らしていた。
ご高齢になりご親戚のところへ移住されるというときに、永代供養と併せて家をお寺に寄付され、お寺の持ち物となっていたところにちょうど私が家を探していて巡り会えたのである。
「着るものだけ持ってきてくれたらすぐ住めますんで」という和尚さんの言うとおり、基本的な家電はもちろんソファや机などの家具、新品の布団まで揃っていたので、わたしはすぐに雲原での生活をはじめることができた。
どちらの家にも不要なものはもちろんある。
でも、家が広いので急いで片付けたり捨てたりしなくても普段の生活にはそこまで支障がない。
そこには向き合いたいときに、向き合えるゆとりがある。
片付いていなくてもいいか、と思える寛容さももしかしたら育まれているかもしれない。
また、「こんな洗剤使うんや」「袋めっちゃあるな」など、文字通り引き出しを開けるたびに異文化と出会えるという面白みもある。
早くきれいに片付ければいいのに、と言うのはまちがいないし正しい。
しかし急いで片付けないことによって、暮らしへの悠長な姿勢が培われ、先人と自分たちの生活がじわじわと合わさって引き継がれるものもある。
通りにくい廊下の冷蔵庫の扉を、たぶん来月も開けている。
コメント