2拠点生活エッセイ第9回「年は明ける」

今月はじめ、私は大阪へ向かっていた。
大学時代の友人たちと、6年ぶりに会う。

四条河原町から阪急電車に乗っていた。
となりの席には、途中の駅から乗ってきた見ず知らずの男性が座っている。
膝の上には、自分の荷物だけが入ったリュックを抱えている。

夫も娘もいない、自分一人の移動は身軽で気楽。

かと思っていたのに。

「あー・・・」

胃のあたりが重い。

喉も渇いている。
乗り込む前に、なにか飲み物を買えばよかったなぁ。

ぼんやり天を仰いでから、視線を窓の外にずらす。

誰もいない公園、誰もいない道路。山、田畑。
かと思えばすぐに車と人でごった返す街。

都市と田園風景が交互に繰り返し流れていく。

ゴッ

という音とともに突然視界が遮られ、あずき色の影が数秒続く。

対向車か。

この電車はこんなに速く走っているのか。

急がなくてもいいのに。

胃が重いのは、今に始まったことではない。

友人たちと会うと決めたあと、会わない6年のうちに変わったことを考え始めてからずっとである。

変わったことはたくさんある。
住むところ、食べるもの、関わる人、仕事、趣味・・・中でも、パッと見て分かりやすくかなり変わったのは服装だ。

大学生活を送っていた頃、服を選ぶ基準は雑誌『CanCam』に載っているかどうかだった。

当時最も売れていた女性誌『CanCam』の服を着ることは、最先端の可愛さを追っている証、つまりモテたい気持ちのあらわれだと捉えていた。
モテたいと思っているとバレるのが恥ずかしくて、買いたい気持ちはあるのに素直に買えなかった時期すらある『CanCam』を、初めて買った時のことは今でもはっきりと覚えている。

大学生になって初めて迎える年末のこと。
人の少ない講義中の時間を狙って、大学の中にある書店に向かった。

入ってすぐの雑誌コーナーで、白いモフっとした服を着たエビちゃんがキリッと微笑んでいた。

平積みされているエビちゃんをサッと1冊取って、すぐさまレジに向かった。

ついに買うんだ、あの『CanCam』を・・・!

かなり切迫した私を前に、そうとは知らないレジのおばさんは講義の教科書を買うときと変わらないテンションでピッピと『CanCam』にバーコードを通す。

「ありがとうございました」

受け取るやいなや、すぐさま袋ごとカバンの中に入れてそそくさと店を出た。

カバンの中に『CanCam』を持って歩いているというだけでドキドキした。

その頃暮らしていた寮に帰って、改めて表紙を見つめた。

「エビちゃんや・・・」

『CanCam』の中には、エビちゃんをはじめ可愛い人たちや商品が惜しげもなくたくさん載っていた。
わたしも可愛い服を着て、可愛くなろうと改めて思った。

実際、可愛いとされるものを着ていくと、可愛いと言われる機会は増えた。

だから『CanCam』に載っている服を選ぶことは、人に支持される方に人生を変えていくことに等しかった。

しかしエビちゃんが『CanCam』の専属モデルを卒業し、私自身も大学を卒業してからは『CanCam』に載っているような服を着る機会がごっそり無くなった。

大阪の箕面市で働いている時は子どもと関わる仕事をしていたので、だんだん汚れてもすぐに洗える楽な服を繰り返し着るようになった。

福知山に帰ってきて、豪雪地の雲原で暮らし始めてからは、あたたかいかどうかを第一に選ぶようになった。

服だけではない。

足がきれいに見えるという7センチぐらいのヒールの靴しか履かなかったのに、2拠点生活を始めてからは足の疲れないスニーカーを好んで履くようになった。

用事がある日は約束の2時間前に起きて身支度を整えていたけど、娘が生まれてからは少しでも寝たくて、化粧は日焼け止めクリームを塗った顔に眉を書いて口紅を塗るだけとなった。

可愛くあることで支持された記憶が新しいうちは、生活に合わせて着るものが機能性重視に変わっていくことが受け入れ難かった。

だから服がどれだけ作業着に近いカジュアルなものでも、靴だけはとにかくヒールを履いたりして、足掻いていた。

けれど、可愛い服を着ていないからといって周りから人が消えたかと言うとそうでもなくて、むしろ最近では、雑誌に載っているかどうかは知らないけれど、自分も好きで、夫も可愛いと言ってくれる服を着ることができるようになってきた。

ーーと、いうような事を全部話すんだろうか?

それをきいて、友人たちはどう思うんだろう。
何か言われるんだろうか。いや、言わないか。

窓の外の景色がどんどん都会になって、ついに大阪についてしまった。

ああもう、行くしかない。
駅から歩いてすぐのショッピングモールの中にあるお店に向かう。

約束の時間より15分も前についた。

お店の前には誰もいない。

いったんトイレに行ってから、また戻ってみたがやっぱり誰もいない。

クリスマスムード一色の店内でひとり立って待っていると余計煮詰まりそうだったので、予約してくれた友人の名を伝えて先に中に入って待つことにした。

すると席にはすでに友人が1人待っていた。少し話しているうちに全員揃った。

「久しぶりやなぁ」「6年ぶりやで」

「いまどこ住んでるん?」「京都と福知山と半々で行ったり来たりなん」

「なにしてるん?」「コメ作っとる」

話しながら、ランチメニューから鯛とブロッコリーのバジルソースパスタを選んで頼む。

「子育てどう?」「楽しいんやわ〜」

セットのサラダとフォカッチャが運ばれてきた後にパスタがきて、おいしくいただいた。

「あんときケンカしはじめてさ」「えー!そうやったっけ」

過去の話が意外と面白い。
雲原のごはん会で、同世代のおっちゃんおばちゃんたちが若い頃の話で盛り上がっている姿が目に浮かんだ。こういうことかー。

「ほなまた今度は夏かな」

あれ?!

気がついたら、終わっていた。

あれほど重かった胃はスッキリしていた。
楽しかったからだ。

けれど、あんなに気にしていた変化の話に全くならずにランチ会が終わったことに驚いた。

お会計を済ませて、エレベーターを待っているときに友人の一人がついに服装に触れてくれた。

「みな(私のこと)のコート可愛いな。服装は変わったな」

「あ、ありがとう」

と返しながら、変化の話なんてこれくらい、ほんのちょっとでええんやな、と知った。

年末である。

一年を振り返るときは、つい去年と何が変わったか、変化や成長ばかりに目が行く。

自分に対してだけならそれでもいいが、人と会うならその視点を休める方が楽しめるかもしれない。

細かくすべてを話さなくても、分かってもらわなくても、共に時を過ごそう。

すると、知らぬ間に年が明けている。

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この記事を書いた人

農家民宿「雲の原っぱ社」宿主。1989年生まれ。福知山市で生まれ育つ。京都女子大学現代社会学部現代社会学科卒業後、NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝で地域教育に関わる。2012年、福知山市の雲原地区へ単身移住。2016年、結婚を機に京都市との2拠点生活スタート。同年11月、女児の母となる。クマと星野源と夫が好き。

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