40年以上在籍される方も!福知山演劇サークルわっぱの魅力

皆さんこんにちは!ふくてぃーやま編集長の吉田佐和子です。

福知山で元気溢れる文化団体にインタビューしたい!そんな思いで今回は演劇サークル「わっぱ」の皆さんにインタビューさせていただきました。

第52回定期公演「天神山」「星の王子様」終演後の写真。みなさん笑顔です!

わっぱの創立は1966年(昭和41年)。代表である日比野修三さんが『演劇サークルを福知山に作って欲しいという』熱い声に応え、8名ほどで活動を始められたそうです。

現在に至るまで、500回を超える大・小の公演を開催。また、わっぱのメンバーとなりひとときを過ごした人は260名を超え、今もさまざまな催しや各種団体からの多くの公演依頼を受けながら、52回にわたる定期公演も行っておられます。

取材させていただいたのは、2020年の7月下旬。いつも練習をされている稽古場(福知山市和久市町)にうかがったのですが、新型コロナウイルスの影響でしばらく練習がお休みになっていたこともあり、久しぶりに皆さんが集まられたときでした。

お仕事があって来ることができない人もおられたため、この日は現在休会中のメンバー6名を除いた、15名のメンバーのうち、6名(日比野さん、榎原さん、的場さん、霜澤さん、由良さん、矢持さん)が参加されていました。

吉田「初めまして。今日はお時間をいただきありがとうございます。さっそくですが、皆さんがわっぱに入られたきっかけを教えていただけますでしょうか?」

稽古場にて稽古に励む的場さん

的場さん「わたしは12年前の60歳の時に、わっぱに入りました。まず、56歳のときに脳梗塞で失語症となり、言葉が全部消えたんです。

家族の名前だけは言えるんですけども、会社の人の名前は全部消えてしまい、思い出せなくなってしまって。例えば「電信棒」が言えないんです。「電」の次の「信」が出てこない。「信」をやっと言えたと思っても、「棒」がなかなか出ない。そんな状態でね。

リハビリが始まって、嫁さんがリハビリの先生にどんなことをするのかを聞いて、家に帰った後はその先生がしてくれたことと同じことをやってくれてました。

嫁さんは近くの病院に勤めてたんで、宿題みたいなものを作ってくれて、それを練習するっていうのをずっと続けてたんですが、3ヶ月ぐらい頑張ったときに、リハビリの先生が『3ヶ月でこんなに良くなる人ははじめて!』と言ってくださって。

『3ヶ月ぐらい良くなっていって、また下がって、それが嫌になって、もう辞める人やリハビリに来ない人が多いんですって。そやけど、頑張らなあかんよ』って言われましたね。

最後の方は、嫁さんのアドバイスで、新聞の広告をおいて、これはテレビ、ラジオ、自動車とか、それがパッと言えるようになったら、ほりなさい(捨てなさい)と。

それで、10ヶ月で普通の喋りやったら出来るぐらいになったから、リハビリはそれで卒業できたけども、家ではなかなか喋らないんですよ。

そんなとき、ちょうどね、福知山市が『福知山騒動』という演劇をするために素人の人を集めてて。

で、僕は技術の仕事をしとったから、会社で物作りができる人ってなってたし、嫁さんもいろんなことできる感じやし、一緒にスタッフとして行こうとなって。

そのときにね、キャストの訓練で日比野先生が中心になって『声出し』っていうのをやっておられて。僕もそこに出て、声出しの訓練だけやから、さして欲しいと。

で、やっぱり「外郎売」ってありますね。最初はあれをまるで言えなかったけど、毎日家でお風呂に入って、練習すると、本当にね、言葉がスッと出るようになりました。

そのときに、僕くらいの歳の役の人が足らないということで、1つ役をいただいて、それもおかげさまで出来るようになって。

ちょうどその後『わっぱの定期公演で、お父さん役でセリフがないけども、やって欲しい』ということで、練習もほとんどしてなかったんですけど、セリフがないんでね。それもそんな長い時間やなかったらということで、それに参加さしてもらって。

その打ち上げのときに日比野先生から『わっぱに入らへんか?』と誘われてね。皆さんもいい方ばっかりだったんで入りますということで、12年になります」

吉田「12年!すごいですね」

的場さん「はい。おかげさまでもう今はね、年なので、台詞が全然覚えられなくて。ちょい役をいただいております。」

吉田「いまお会いして喋っていた感じだと、そんな過去がおありだなんて全く感じませんでした」

的場さん「おかげさんでね、本当にそういう人前で喋ることが多いし、いろんな役もいただいて、いま本当に忙しい人生を送ってます。

吉田「いや~いいですね」

的場さん「今、公民館長してるし、文化協会では副会長をやらしてもらってます」

吉田「すごいですね!」

的場さん「本当にね、人生が変わりました。おかげさんでね。それがなかったらね、本当に言葉が喋れんかったんで。

最初にね、うちの嫁がカラオケの先生に習っておったんですが、カラオケの歌がちゃんと歌えるようなると、やっぱり言葉がちゃんと言えるんでっていうことで、嫁と一緒にいまだにずっと通っとるんですけど。

途中でね、ある仲間の人が詩吟に誘われて、今は詩吟も頑張ってます。腹から声を出す訓練に非常にいいんですね。

詩吟したおかげでカラオケも良くなって、詩吟もよくなって。もう詩吟の先生も『的場さん、声がすっごいようなったね』とおっしゃって」

吉田「本当にいろんなことをされてるんですね。言葉が出ない状態からそうしてどんどん出来ることを増やしていけたことは、やっぱり嬉しいですね」

次は和太鼓奏者でもある霜澤さんにわっぱに入ったきっかけを聞いてみました。実は以前共演したこともあり、今回インタビューさせていただいた中では一番仲の良い間柄です。

ヤクザの子分役を演じる霜澤さん(左) 劇「明けない夜」より

霜澤さん「僕のことはだいたいわかるもんね」

吉田「でも太鼓をしてる霜澤くんは知ってても、わっぱは知らないというか。霜澤くんがわっぱに入った2年前は、わたしもパリにいて何も知らないので是非教えてください」

霜澤さん「きっかけはほんまにたどると、的場さんと同じで。さっき言ってた『福知山騒動』で実はご一緒させてもらったんですよね」

吉田「え~!でもそれはだいぶ前ですよね」

霜澤さん「僕が高校卒業した直後やったからもう10年前。高校に行ってるときに練習があって、舞台が高校を卒業した後かな。福知山市が文化活動に力入れようと推進してくれはって、厚生会館の大ホールを2日間満席にするくらい、大きなイベントだったんです。

本当に本格時代劇で、舞台や大道具も全部つくって。太秦の山崎かつらに行って1人1人に合わせてつくって、本当に本格的な舞台でした。衣装もちゃんとしてましたね。一体いくらぐらいの費用がかかっとんやってぐらいの莫大な費用がかかった時代劇なんでね。

それがきっかけで、もともとテレビでやってるドラマ俳優とかを見てて、自分もいつかあんなんやってみたいなって思いはずっとあって」

吉田「あ、思いはあったんやね」

霜澤さん「そう。すごくそういうのに憧れがあったんですけど、そっから自分的には太鼓をメインに活動し始めて、仕事もあって。

ほぼ太鼓をメインでやってたんだけど、ちょうど今から2年半前ぐらいに、太鼓も仕事も余裕があるようになったときに、新たなことやりたいなと思ってまた演劇をしたいなと思ったんですよね。

それは何のきっかけかと言うたら、太鼓の方で僕は中丹文化会館で「ひとつ」のグループで『安寿と厨子王』っていう物語を題材にした舞台をやったときに、演劇的なものが非常に面白いなって思ったから、ちょっと何かしたいな思ったときに、ちょうどわっぱさんの定期公演があって。

それを見に行かせてもらって、もうやっぱり見たら更に気持ちは高まるわけですよね。

そこで、ここ(稽古場)にちょっと稽古を見学行かしてもらってもいいんかな?みたいなことを言ったら、岡西さんっていうよくここで演出されてる方に「遊びにおいでよ」みたいなことを言われて。

それで、来たその日に入会するやろって日比野先生に言われて。あ~どうしようかなって言ってたら『会費がなんぼで~』って話になってきて、あぁ、じゃあ、はい、っていうんでもうその日から入団って形になったんやね(笑)

第52回定期公演のチラシ

それであれよあれよと言う感じで、わっぱの中でも物は言わせてもらうタイプやなんですけど、去年は「星の王子さま」の演出をさせてもらって、良い経験をさせてもらいました。

結局舞台の見せ方っていうのも演劇と太鼓とはまた違うけれども、演劇要素っていうのを取り入れることもできるし、舞台照明とか舞台配置とか、道具とか、そういう勉強にもなるなと。今の僕の活動の中で非常に役に立っとる感じです」

吉田「なるほど。的場さんの話を聞いていて、やっておられることがそれぞれ良い形で作用しあってると感じたけど、霜澤くんも同じなんやね。全部自分の表現をさらに深めていくために役立っているというか」

霜澤さん「そうやね。それだけをやってるんじゃなくて、それをやることによって他のことにも繋がるっていうのは大きいかなぁ」

日比野さん「じゃあ次はこの人。まだ入って4年。まだお若いんですが、いま会報『わっぱNEWS』作りやいろいろな広報関係をやってもらってます」

由良さん「わたしは、もともと演劇みたいなことは好きだったんだろうなっていうのはあって。今思うと、小学校のときに何かちょっとした劇をするときとかも、凄い結構意欲的にやってたタイプだったなって思ってて。

高校の時の文化祭で劇やりたいなって言って、演劇をクラスでやったりとかしてて。でもそのときは、なんとなくただ楽しいなぁってぐらいでした。

で、高校の終わりがけぐらいから、プロの劇団さんがやってる演劇だったりミュージカルだったりというものにちょっと興味を持ち出して、大阪行ったり東京行ったりして、いろんなところにひとりで見に行くようになって。

それをたくさん見てるうちになんか『私もあっち側に立てたらいいなぁ』っていうっていう気持ちがポツポツと芽生え出した時に、父が昔わっぱに入ってた事を思い出したんですよね。

で、ちょうどそのぐらいにOB向けに本公演の招待券が家に届いてて、私がぽろっと「演劇やってみたいなぁ」って言ったら、お父さんに『じゃあわっぱの(公演のチケット)来とるけど、いくか?』って言われて、じゃあ1回見てみようかなって思って、1回見に行ったんですよ。

で、やっぱりいいなあと思ったんですけど、まだそのときは社会人1年目で」

吉田「なるほど。1年目はしんどいですね」

由良さん「そうなんです、ちょっとやっぱさすがにしんどいかなぁと思って、その時は諦めて帰ったんですよ。

ほんで、またその次の年もまた見に行こうと思って行ったのが50周年記念の公演で『女の暖簾』っていう大正時代から昭和にかけての3年間を描いた作品で。

最初、時代劇か~と若干思いながら、見に行ったんですよ。どちらかというと現代劇をずっと見てきたので、あんまり乗り気じゃないようなところも若干あったんですけど、まぁすごく良くてね。まぁ泣いてしまいまして。あぁ、演劇っていいなぁと思って。

その公演が終わって、父が日比野先生に挨拶したときに『わっぱに入りたいんですけど』って言ったら『また来週に公演の打ち上げがあるから来るか?』と誘ってもらって。

全然関係ないけど・・と思いながら行きましたね。全然知らない人たちのなか、しれ~っと荷物を運んで、しれ~っとその場に居座って、よろしくお願いしますという感じで入りました」

日比野さん「では次はこの人ですね。この人は次のわっぱを背負ってもらう、座長の榎原くんです。もうわっぱに入って40数年というような人です」

榎原さん「ちょっと喉が痛くてあんまり喋られへんのやけど」

霜澤さん「言うて喋りますよ(笑)」

一同「笑」

榎原さん「きっかけは、30歳くらいのときに福知山に帰ってきて。なんかその頃はまだ文化的なもんが少なくて、何しようかなと思ってたときに、たまたまこじんまりしたウッディハウスみたいな喫茶店にコーヒーを飲みに入ったら、新聞でよく見てたわっぱの機関紙があって。

ヤクザの親分役を演じる榎原さん(左) 劇「明けない夜」より

その機関紙読んでたら、たまたま喫茶店の奥さんの旦那さんの妹さんがわっぱに入ってはったんですよ。

それで、もし興味があるんやったら1回行ってみたらということで、そのころは勤労青少年ホームで稽古をやってたので行ったんですけど、そしたら妹さんとか、すごいメンバーの人がたくさんいてはって。そこで見せてもらって、その後どうするんやいうことで、いつの間にか入っていたというか(笑)

それでわっぱに入ったんですけど、最初の1年だけはスタッフでちょっと障子に絵を描いたりしとったんですけど、いつの間にか2年目から役者になって。いろいろありましたけど、うん。それからずっと30数年やっとるんですけど」

吉田「もともと何か文化に興味がおありだったんですか?」

榎原さん「大学でいろいろ好きなことをやってたんですけど、ギターやったり踊りやったり、大学生で学祭の実行委員をずっとやってたんです。

イベントとかも色々やってたんやけど、こっち帰ってきたらわっぱさんくらいで。その後ちょっと1年だけかな、劇団ができたんでちょっとだけやっとったんですけど、その劇団もまたなくなってしまって。結局わっぱしか残らなかったというかね。

前は機関紙があったので、すごくOBとの交流会もあったんですけど、だんだんそういうのがなくなってしまって。今回またわっぱNEWSを出して活性化をしようとしてるんやけどね。

吉田「私も先日できたてホヤホヤのニュースレターをいただいたんですけど、わっぱについて何も知らなくても、今こういう思いで活動しとってんやとかメンバーさんこれぐらいいはるんやな、とか、分かっていいですよね」

榎原さん「そうですね。今はこうして色々やるんも便利なんですけど、昔は大変でしたね」

吉田「そうですよね。今はだいぶ変わりましたよね」

榎原さん「昔は定期公演の1週間前くらいから宣伝カーも出しとったんですよ。車に看板つけて、市内全部、雲原から全部アナウンスしながら回ってね。

ポスターでも2、300枚刷るんですけど、もうすごいその頃は女性が強かったんですよ。だから、福知山の地図を稽古場の2階に貼っといて、ポスター貼ってきたらすぐマジックで印をつけろー!言うてね。練習はだいたい10時頃終わるんですけど、それから貼りにいけー!言うてね。僕ら真っ暗な中ずっと貼り回ったりね」

吉田「すごいですね!」

榎原さん「うん。だいたいいっつも家に帰るんは11時や12時でしたね」

吉田「いつも何時から何時まで練習されてるんですか?」

榎原さん「今はもう7時から9時までなんやけど、定期公演前は夜中くらいまでやったりね」

吉田「なるほど。でもやっぱり皆さん一人一人それぞれ独特のきっかけがあって面白いですね。お1人お1人に取材したいような気持ちになりました。

ちなみに、皆さんがずっと入っていたくなるわっぱの魅力というか、理由はどんなところなんでしょうか?」

榎原さん「やっぱりあれやね。役者の演技って、舞台があって、はい終わりました、じゃなくて、それが終わった後『あのときもっとこうしたらよかった』とかってあるじゃないですか。

やっぱり次の舞台にそれをどう生かせるかとか考えるし、役っていろいろ変わるんじゃないですか。おんなじ役をずっとやっていくわけじゃないから、新たな役、また違うタイプが出てくる。それを日々追いかけていくから、そういうのが面白いんちゃうかな。

芝居ってね、やっぱり自分ができないものができる。現実では社長になれないと思ってても、芝居の中なら社長にもなれるし、ヤクザの親分にもなれる。そうしていろんな役ができるのはやっぱり素晴らしいなと思いますね。

だから、そういう人の役になってみて初めて楽しみも苦しみも分かるっていうんかね。社長の偉さも分かるし、ヤクザの気持ちも分かるし。そういうのはちょっと面白いなと思いますね」

ーここで高校1年生からわっぱに在籍しておられる矢持さんが来られました。

吉田「いま皆さんにわっぱに入るきっかけをお聞きしてるんですが、高校1年生のときに入られたきっかけを教えていただけますか?」

バラ役を演じる矢持さん(左) 劇「星の王子様」より

矢持さん「わたしは、もともと演劇というか、女優に興味があって。それも小学校4年生ぐらいに天才てれびくんっていう番組で同年代の子が活躍してるのを見て、まずそのテレビの世界に憧れを持って。

それで、その憧れを持ったまま中学生になったときに、ここに今も所属されてる方の娘と同級生でお友達やったんですけど『親がこういうことやってるよ』っていうのを聞いていて、さらに中学校の時の行事で演劇の発表会をするために演技指導としてわっぱさんが来ちゃったんです

演技指導を日比野先生からしてもらって、そこでちょっと繋がりができたので、入りたいですってそのときに言ったんですけど、高校生になってからじゃないと駄目ですって言われて」

吉田「なるほど」

矢持さん「それで、高校生まで待って、高校に入学して部活動が決まるよりも先にわっぱに入って、夢を忘れないために今も続けてます」

吉田「そうなんですね。ずっとわっぱにずっと入っていたくなる理由というか、わっぱの魅力ってどんなところでしょうか?」

矢持さん「あ~、なんでしょうね。プロにはないゆるさですかね(笑)」

吉田「でも何か皆さんのお話を聞かしてもらってると、ほんまに心地良いなというか。みなさんの個性が気持ちよく調和している感じを感じたので、すごく納得できます」

矢持さん「それこそ、最初入ったときは高校生だったので、周りがみんな大人だったこともあって、私も控えめだったし、みんなも気を使って下さってる感じで3年間過ごしてましたけど、なんか自分も社会人になって、ちょっと大人の気持ちがわかるようになってからは、こんな感じで喋れるようになりましたね。

仕事もバラバラでいろんな人がいるので、あんまりプライベートを持ち込まない感じなんです。わっぱだけの関係って感じなので、あまり仕事の話をしなかったですし。まぁ聞かれたら話しますけど、みんなそんなに細かいところまで話さないっていう。

そういう細かいところまで気にしなくて、わっぱに来たら劇のことを考える。それぞれ思いは違っても劇が好きな人が集まってるので、それだけで盛り上がれるので、そういうところがいいところですかね」

キツネ役を演じる由良さん 劇「星の王子様」より

由良さん「たしかに居心地はいいんですよね。やっぱ仕事とかだと、私は結構猫かぶりなので、もうギュッてなっちゃうタイプなんですよね。あと私あんまり自分より年上の人とかと接するのが苦手で。

昔から友達と一緒に喋るのはできるんですけど、先生と一対一で喋るとなると、何喋ったらいいか分からなくなってしまうタイプだったんですけど。

なんかわっぱはそんなこともなく、やっぱり同じものが好きで、一緒にいろんなものを作っていってる仲やからなのかも。

さっき、(矢持)さきちゃんも言ってましたけど、そんなに干渉し合わないんで、ここに来たら演劇の話とか、ここはこうしたらああしたらって話になるんです。

そういう話をしてれば楽しく会話ができるんし、やっぱりそういう話ができる場っていうのはなかなか他にはないとこなんで、そこはいいかなと思いますね」

吉田「ありがとうございます。的場さんはどうですか?」

的場さん「やはり年代が幅広いところに入ったんだけど、本当にそれを感じないというか。普段通りの言葉で話せるというかね。で、役をもらった瞬間にその役になりきっていかなあかんと。

その役の人生観とかを経験できることが、本当に人生においても良いことをさしていただいてるというかね。

本当に、いろんな人間性やいろんな経験を持つことによって、何か幅広い人間が集まってるから、メンバーそれぞれの個性だけじゃなくて、演じているときの雰囲気も感じるんですよね。普段とは違う雰囲気持ってるなあと。

だから、一つの見方だけやなくて、いろんな見方ができるというか、なんかそういうのが楽しいですね。

だからこの3ヶ月ほどね、(新型コロナウイルスの影響で)練習もなしで集まらへんときにね、僕ね、歳やしもうやめようかなというふうに思ってね。日比野先生に1回お会いして、もうやめようかなという話をしたいなと思っておった。ところが、稽古場に来て、みんなとまた会うやん。そしたらね、その気がなくなっていくんよ。不思議です。まだ続けないといけないですね」

吉田「本日は皆さんいろんなお話を聞かせていただきありがとうございました。また是非定期公演前などにお話を聞かせてください」

さいごに

わっぱの皆さんのお話を聞いていて感じたのは、何とも言えない居心地の良さです。年代や在籍年数がバラバラでも、良いお芝居を作ろうという気持ちは同じ。その目的に向かって、皆さんが一丸となって活動されている雰囲気を感じました。

最後には、お話を聞かせてくださった皆さんが舞台でどんな演技をされるのか、とっても気になってきたので、今年の定期公演は残念ながら中止となったそうですが、来年は友達を誘って行かせていただきたいと思います。

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ABOUT ME
吉田 佐和子
吉田 佐和子
ふくてぃーやま編集長。福知山市出身のクラリネット奏者。作曲家。アートディレクター。福知山・大阪・東京の3拠点をぐるぐるしながら生活中。夢は福知山に音楽ホールを創ること。好きなものは福知山の商店街、映画館、櫻湯、柳町の鴨すき、明智茶屋のショートケーキ。1st&2ndアルバムはAmazonにて好評発売中。